「推すことに疲れた」は、自分を見直す良いきっかけだと思う

2021年5月24日

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 先日Twitterで「推し疲れ」なるワードがトレンド入りしていました。

コロナ流行から1年以上が過ぎ、たくさんのライブやイベントが中止又は配信へと切り替わりました。

そんな中オタク界隈では「熱心に応援していた推しへの熱が薄れてきた、推し活のモチベーションが上がらない」という人が増えてきているようです。

ですが、個人的に「推し疲れる」というワードにはなんとなく違和感を感じました。

今回は「推し疲れ」について私が考えたことをお話ししていきたいと思います。

ライブやイベントがないのはたしかに辛い

ライブやイベントがないのはたしかに辛い

私もライブが大好きで自称「現場第一主義オタク」なので、ライブやイベントが全くないのはたしかに辛かったです。

コロナ流行初期の頃、有給休暇を取って参戦予定だったライブが直前で中止になってしまい、悲しくて悔しくて泣きながら虚無な休日を過ごしました…

 ライブやイベントって大好きな推しと同じ空間、時間を共有できる瞬間だし、場の一体感なんかも醍醐味。

みつまる

ライブやイベントがあるからこそ、日々の仕事を頑張れるというもの

ちなみに私はテレワークできない職種なので、緊急事態宣言下でもいつも通り出勤し続けており、「ライブがないのに、何のために私はこんなに頑張っているんだろう…」と仕事を頑張る目的が見つけられずにいたりしました。

日常生活がしんどくなってくると、好きなものや熱中していたものへの情熱が薄れてくるのは自然なことだと思うので「推しへの熱が薄れてきた」「モチベーションが下がった」というのは、よく分かります。

推し疲れる、とは…?

推し疲れる、とは…?

私が個人的に疑問に思ったのは「疲れた」というワードです。

コロナ流行でお仕事が減って生活が苦しくなったり、逆にお仕事が忙しくなったりした方もいると思うので、趣味にかけるお金や時間が減ってしまうのは当然のこと。

推し活やオタ活よりも優先すべきはまず自分の生活です。

そこが安定して初めて、心から推し活、オタ活を楽しめるのですから。

でも「推す」ことの根底にある気持ちって「好き」とか「憧れ」だと思うので、「好きでいることに疲れる」という感覚にはすこし違和感を覚えました。

それってたぶん、「好きでいなきゃいけない」っていう義務感みたいなものがどこかにあるんじゃないのかな、と。

だから正確には「疲れ」ではなく、「好きな気持ちが薄れた」だけだと思うんですが、それってごく当たり前のことだし、悪いことじゃないと思うんですよね。

ずっと一つのものだけを好きでいることなんて無理だし、何に対しても、好きになったり気持ちが離れたりを繰り返すのはごくごく普通のことです。

もし「推すことに疲れてしまった」と感じるのならば、それは

  • 今までの推し活・オタ活に無理があった
  • 推し活・オタ活に義務感を感じている

このどちらかだと思います。

推し活・オタ活は義務ではない

推し活・オタ活は義務ではない

私自身のこれまでの推し活・オタ活を振り返ってみると、もっとも勢いづいていたのは2019年だったと思います。

月に一回以上はライブに足を運んでいましたし、グッズもライブのたびに買っていたし、遠征も2ヶ月に一回はしていました。

月に5万円以上は推し活に費やしていたと思うので、今から振り返ればよく破産しなかったな…とびっくりするくらい(実際、貯金は全く増えませんでした)

 あと、元々陰キャのコミュ障なのにオタク仲間とコミュニケーションを取ろうとしてみたりと、金銭的にも体力的にもメンタル的にも無理していた感が否めません。

なんでこんなに無理していたのかというと

  • オタクなら、グッズを買うべき
  • オタクなら、ライブはできるだけ行くべき
  • 推しが出るテレビ番組は全部チェックしないと
  • 公式から出た情報は全部知っていないと

こういった考えが自分の中にあったのかもしれません。

でも好きなことに対して「○○するべき」っていう義務感を覚えるのは、よくよく考えてみたら変な話です。

今は推しのブログやインスタなども気が向いたときにしかチェックしませんし、推しが出演する地上波の番組も普通に見逃しているときもあります(笑)

でもライブDVDやMVを鑑賞しているときは「やっぱりかっこいいなあ…!」となるし、自分の中では良い距離感を保って推し活ができていると感じています。

コロナ禍はいいきっかけになった

コロナはいいきっかけになった

コロナ禍で生活が苦しくなった方、仕事が忙しくなった方もいらっしゃると思うので、こういうことを言うのもどうかと思いますが、コロナ禍は自分の推し活のやり方を見直すいいきっかけになったと思います。

 もしコロナ以前のペースでずっと推し活を続けていたら、いつしか気力的にも金銭的にもパンクして、推しを好きな気持ちまで消えてしまっていたかもしれません。

ライブやイベントがなくなったことで、それまで当たり前にあると思っていたことのありがたさや、エンターテインメントの力など、大切なことにたくさん気づけた一年でした。

また、私はコロナをきっかけに本格的にものを減らし始めました。

おかげで好きなことややりたいことがハッキリしたり、お金の使い方を見直すことができたりと、オタ活以外の部分でもいろいろな良い変化がありました。

SNSから離れたことも、自分のオタ活を見直す上でかなり大きかったと思っています。

まとめ:推し活・オタ活はほどよい距離感で楽しむのがよし

今回は、Twitterでトレンド入りした「推し疲れ」というワードについて、私なりに考えたことをシェアさせていただきました。

推し活やオタ活って本来はすごく楽しいことのはずなのに、それで疲れてしまっていては本末転倒。

私にとって「推し」とは、大好きな憧れの人で、ライブで笑顔で踊っている姿を見られるだけで嬉しくて、もはや同じ地球上に生きているだけで嬉しい。そんな存在です(愛が重い笑)

もしかしたらいつか気持ちが離れてしまう日が来るかもしれないけど、現時点では良い距離感で推せていると思うので、このまましばらくは推し活を楽しもうと思います。

「推し活・オタ活に疲れたな…」と感じている方は、「自分のオタ活に無理がなかったか」「義務感を感じていないか」を改めて考えてみてはいかがでしょうか。

もっと自分の「好き」な気持ちを大切に、無理のない範囲で楽しんでもいいのではないでしょうか?

本記事が、みなさまの推し活・オタ活を振り返るきっかけになれば嬉しいです。

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