数年前にEXILE TRIBEにハマってからというもの、それまでほとんど買ったことのなかった雑誌を買うようになりました。
- 推し、推しグループが表紙だから
- 推しの特集が組まれているから
- 推しの写真が一ページでも載っているから
こういった雑誌はほぼ収集していたので、気づいたらすごい数になっていました。
ちなみに、EXILEや三代目JSBが所属するLDHは「月刊EXILE」という雑誌を発行していて、数カ月に一度のペースでEXILEや三代目が表紙になったりするので、表紙になった号だけ買ったりもしていました。
ほとんどの雑誌は、購入して一度読んだらクローゼットの中にしまいこまれて、再び手に取ることはほとんどありません。

雑誌って、一回読んだらもういいやって気持ちになる…
雑誌を手放す覚悟はなかなか決まりませんでしたが、一念発起して手放してみたら思いのほかスッキリしたし、自分の気持ちの整理にもなったんじゃないかと思っています。
私が雑誌を捨てられなかった理由

一度読んだきりで再び手に取ることのない雑誌というのは、「使っていないものは手放す」という捨て活の基本概念に則れば、あきらかに即手放すべきものです。
にもかかわらず、なかなか雑誌を手放せなかったのは、このような理由があったのではないかと思いました。
- 大体一度しか読んでないのでもったいない
- それほどスペースを取っているわけではない
- 雑誌を収集している自分に酔っていた(?)
大体一度しか読んでないのでもったいない
雑誌って一冊700円〜800円くらいしますが、どれも買ってから一度くらいしか目を通していませんでした。

一度しか読んでないし捨てるのはもったいない…
そんな気持ちになってしまい、なかなか手放すことができませんでした。
かといって、また読み返すかと聞かれたら可能性は限りなくゼロに近いのですが…(矛盾しすぎ。笑)
それほどスペースを取っているわけではない
特定の雑誌を毎月定期購入しているとかであれば膨大な数になっていたと思いますが、私の場合は「推しグループが表紙のときだけ」など、もともと購入する基準を設けていました。
そのため、たくさんあるといってもせいぜい10冊程度で、クローゼットの中を占拠しているといった状態でもありません。
「じゃあ取っておけばいいじゃん」と思われるかもしれませんが、読み返していないのに取っておいてもなあ…と、目につくたびにモヤモヤしていました。

じゃあ読み返せよって感じなのですが
雑誌を収集している自分に酔っていた
これまで雑誌をほとんど買ったことがなかったので、「雑誌を買う」という体験それ自体がとても新鮮なものでした。
しかも、雑誌を買うようになったきっかけが大好きな推しということもあって、雑誌を買う・集めるという行為そのものに嬉しさやワクワクを感じていたのかもしれません。
あとは、「雑誌を買っている自分」「推しが載っている雑誌を収集している自分」にすこし酔っていた部分もあったのかな…と感じています。

これまで雑誌を買ったことがなかったのでなおさら
だからこそ、読み返しもしないのに捨てる覚悟がつかなかったのでしょう。
雑誌を手放した結果

ずっとモヤモヤと悩んでいましたが、ついに雑誌を手放す覚悟を決めました。
どうしても残したい2冊以外は、表紙と好きな写真が載っているページを切り取って他は処分しました。
残したものはどうしたか
切り取った表紙やページは、ファイルに入れて保管することにしました。
基本的に推しが映っているページのみを切り取ってまとめたので、どこを開いても推ししかいません。

こんなに素敵なものになるならもっと早く手放しを決めればよかった
(ちなみに数年後、このファイルも手放してしまうことになるのですが…←2025年追記)
自分の気持ちも整理できた
雑誌を捨てるのと同時に「雑誌を買っている自分に酔っている自分」も一緒に手放せたような気がしました。
私が雑誌を買っていた理由は
- かっこいい推しの写真が見たい
- 推しに貢ぎたい
- 推しが載っているものを収集して満足している
だったのかなと気づきましたが、これらってよく考えたら別に雑誌じゃなくてもいいよね?と思い始めたのです。
読み返すことなくずっと放置していたのは「買う・収集する」という行為自体に満足していたからで、もしかして雑誌である必要はないのかもしれない…みたいな。
推しのかっこいい写真なら、公式サイトや本人のSNSにもたくさんアップされているし、なんならライブに行けば、画面越しや紙越しではない推し本人に会えるわけだし。
そう考えると、急に「もう雑誌は買わなくていいかな…」という気持ちになってきました。
まとめ:手放せない理由を考えてみることが大切

今回は、私が雑誌を手放せなかった理由と手放してみて思ったことについてご紹介しました。
「雑誌を買っていた理由」「雑誌をなかなか手放せなかった理由」を考えてみたことで、「あれ、もしかして雑誌じゃなくてもいいかも…」と気づけたのは、個人的にとても大きな発見でした。
雑誌のほかにも、自分のそれまでの考え方や気持ちをきちんと振り返ってみると「別にこうしなくてもいいのかもしれない」ということがたくさんあるような気がします。
特に最近の推し活やオタ活は、SNSによって他人の様子が見えやすいからこそ、「ファンならこうあるべき」「自分も同じようにしなきゃ」みたいな気持ちになりがち(私はそうでした)
でも、推し活・オタ活は自分が一番心地よく楽しめるやり方で楽しむべきだと思うので、私はこれからも、自分なりの推し活を楽しんでいきたいと思います。

